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カルマ
 
カルマ
これは、ちょっと
いやな言葉です。
 
どんなものか、実際あるのかないのか
事実として理解していないというのに、
カルマ、と説明されるだけで、
なんとなくわかってしまうような
というより、
わからなくてはいけないような、
強引な態度を要求する
押し付けがましい言葉。
 ニューエイジのお気に入りの言葉。
 
でも、どれだけの人が
カルマを理解しているのだろう。
第一、そんなものが本当にあるのだろうか・・・
よくわからない。
 
多くの導師たちはそういうものだ、として
カルマのことを言うけれども・・・
 
行為に結果が付き物だということは、分かる。
原因があれば、結果が、ある。あたりまえだ。
 
私たちが、このように言うときに
想像するような
例えば物理的な現象については、まさにそのとうりだが、
その他、
心理的、あるいはもっと深遠な世界については
私たちは、その仕組みをまだよく理解していないとは思うものの、
同じような原因と結果の関係があるだろうということは
充分、予想できます。
 
しかしその行為と結果が
同質のものだということが、
カルマという考えの奇妙に思えるところです。
 
誰かを殴ると、同じように殴られるとか、
誰かに金を恵めば、同じように恵まれるとか・・
 
普通想像される、原因と結果の因果関係とは
少し違います。
行為にはそれ相応の結果があるという
直線的な発想ではありません。
 
むしろ
こんな発想の仕方とは全然違う方向から
見なくてはいけないらしい。
 
ヒンズーの最高峰のひとり
ラマナ・マハリシは言っている。
 
「もし
行為の結果に無頓着であるならば、
そのひとは
その行為のカルマから自由です。」
 
もちろん
この言葉には、
「賢者」は、一から十まですべての行為を
結果に無頓着に行なっている、
人は誰も
そのように行為しなくてはいけない
という
意味が
込められているわけですが
 
物理的な世界では
結果に無頓着であっても、
行為すれば
やっぱりそれ相応の結果があるわけだから
カルマということを考える時、
このような発想を
当てはめてみることはできない。
 
無意識に転んでしまっても、
やっぱり痛みは
あるわけだから・・・
 
「意図」がカルマというものを生む。
この点では
導師たちの言葉はある程度
共通しているようだけど
すこし
別の世界の思考体系が入っているようで
凡人である私らには
理解し難いことです。
 
でも
実際
物事をよく理解している
といわれている
人々に
これだけ言われているというのなら
どちらかというと
カルマというものもあるんだろうな、とは思う
 
クリシュナムルティは
決して
カルマの話はしなかったのだが、
それでも
ある対話の中で
カルマは一瞬にして断つことができる
と(口を滑らせたのか)言っている
 
それは
因果のつながりを見ることによって
なされるという
行為とその結果のつながりを
直接見て
【理解】することで
 
 逃れることができる
理解してしまえば、
その流れに
もう巻き込まれることはない。
 
こんなことを聞くと
またさらに
理解し難くなってくる・・・
 
 
 
 
 
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