Make your own free website on Tripod.com

走馬灯体験

 
臨死体験については
いろいろと言われていますが、
彼らの語る
「あの世」の描写が
真実なのかどうかという議論では
最後の最後に、
「結局彼らは(死に近づいたとはいえ)
死んではいないんだから・・・」
などと
結論づけされると
もう反論の余地がないようにも思います。
 
彼らが
いかにその真実性について
確信を持っていても
(たいていこの確信の「度合い」はたいしたものだが)
他人には
なかなかその真実性が
伝わらない。
 
しかしながら
死にいたるプロセスに関しては
彼らの話に耳を傾けないわけにはいかないと思う
 
彼らは
死という一線を
超えたわけではないのだが
まさに死にいたる道筋を通って
そして
帰ってきたわけだから
 
死にいたる道筋について、
彼らの話に共通の要因があることは
よく知られている通りです。
 
【体外離脱体験】
【亡くなった肉親との再会】
【トンネル体験】
【神や光の存在との遭遇】
【などなど・・・・】
 
もちろん彼らの個々の体験は
偏っているようだし、
すべての人が同じ体験を
したともいえないのだけれど。
 
知らないうちに
本来通るはずの道筋を
やり過ごしてしまったりすることもあったかもしれない・・
でも
彼らの話を総合的に
まとめて見てみるならば
誰もが基本的には
パターン化された同じような
道筋を行くことになるらしい
ということは
十分ありうる。
また体験者達の
こうした死のプロセスに対する
確信の強さも
尋常のことと思えない。
 
きっと死の時には誰にも
このようなことが起こるのだろう。
起こらなかったら
それはそれで
運がいいとでも言うべきですが
 
こうした死へ向かう
一連のプロセスの中で
一番奇妙で
また
ひとつの重要なポイントだと思えるのは
いわゆる
走馬灯体験だと思います
 
臨死体験者の言うところでは
死ぬ時に
「わずかに一瞬のうちに」
自分の人生を回想するといいます
 
こうしたことは臨死体験に関わらず
これまでにもしばしば言われていました
例えば登山家が足を滑らせて
落下していく時に
自分の人生を一瞬のうちに振り返ったというように・・・
 
  人間の生活の中では
案外珍しいものでもないかもしれない。
だからこそ
走馬灯体験なんて言う言葉があるのかもしれない
 
しかし
臨死体験における走馬灯体験が
興味深いのは
回想体験の時に
その視点が「ひっくり返る」ということです
 
 どういうことかというと
例えば何かを誰かにしたというとき、
回想の中では
その「誰か」の視点に立って
自分のしたことを
追体験するという。
 
自分がしたことを
相手の立場に立って
思い知らされるということです。
 
何か残虐なことをしたのならば、
その苦しみを
相手の立場から追体験してしまう。
 
 これは
奇妙でもあるし、また考えてみると
恐ろしいことかもしれない
本当にそうなるのなら・・・
 
この体験の後に、
「光の存在」とであうということになっているようで、
「光の存在」に自分の一生を報告する
 まえの体験です
 
これはいわば
自分の人生を総括するための回想
ということになっています
 
他人の立場に立って、自分のなしたことを振り返るので
自分の行なった行為の意味もすべて
総括できるわけです
 
自分のなした行為からは
逃れられないということでもあるらしい
 
 ある臨死体験者の言うところでは
このときに自分の行なった
残虐な行為を振り返って
身の焼けるような
後悔や苦しみや恥ずかしさを
感じたという
 
 
いずれにせよ、生きているうちは
行為に注意をしているに
越したことはありません
 
さらに奇妙なことに
偉大とされる導師たちは
なぜかこうしたことをよく知っている
らしい・・・
 
あるシーク教のグルは言っている
 
あなたが死ぬ時に、
神はあなたに
脇役もすべて含めた
一巻の映画を見せるだろう
その映画があまりに衝撃的なので
あなたは神に会っても
その顔をまともに見ることはできない
 
臨死体験が話題になる前に
こんな事を言っているとは
ちょっと驚きです
 
また走馬灯体験については
最高峰のオカルチスト、シュタイナー
が神秘学的に説明している
 
 彼によれば
人間が死ぬ時に、
まずエーテル体が肉体から離れる。
(同時に肉体の
形態を保持する能力が失われるのですが)
その時に
エーテル体に貯えられた
生前の記憶がすべて解放され
一気に流れ出す
 
これはとっさの出来事をきっかけにしても
起こるのだ、と言っています
 例えば川で溺れた場合なんかを
例に挙げています
 
彼が今世紀初めの頃に既に
こんな事を言っていたということに
こちらもやっぱり驚かされる
 
シュタイナーの話がおっかないのはこの次で、
このような走馬灯体験とは別に
死後に改めて
人生回想の期間があり
この時に
先に言ったような
立場が逆転した状態で
自分の行為を振り返り体験するという
 
この期間は
実際の人生の3分の1だという
 
ほとんどの人にとっては当然
この回想は苦痛に満ちたものになります
皆たいてい利己的に行動してしまうものだから
そこでこの期間を「カマロカ」(煉獄)
と名づけています
 
シュタイナーのように
「常識」を超えすぎると
これは理解し難いところがありますが
本当のところはもちろん死んでみないと分かりません
 
そうかもしれないし、違うかもしれない
 
でも自分の行為はどこかで帳尻を
合わせられてしまうというのは
どこか納得できるような気がします
 
 
BACK