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波動

スジャータを買ってすぴりちゅあるになろう!



このところ大流行りの「波動」=「バイブレーション」という言葉。
最初のころは チャネリングとの絡みでよく聞いたように思う。バイブレーションを上げよう 、とか「これはバイブレーションが合わない」とか。

ちかごろは「波動理論」がもてはやされている。
「トレンディ」によればスジャータのように全面的に波動理論を取り入れている 企業も出てきたらしい。すべての商品に波動が関係して、パッケージの色まで 「波動」によって決められている。
理論の方は、メカニズムとしてはよくわからないのだけれど(どこか危うい)、 「波動」という言葉で何か、誤魔化されているようながらなんとなく納得している。
「波動」、といえば何かたいしたことを言っているような気分になるから 不思議なものです。
なぜ「波動」という言葉がこんなにももてはやされるのだろーか?

おそらく、あるものの説明に、「波動」としか表現のしようの無い物をいつも 人が感じていたということなのだろうと思う。
日常使っている語彙では あまりに因果的、限定的でどの表現を使ってみても、必ず何かとり逃した部分が できてしまうという苛立たしさをいつも感じていたということなのだろう。
たとえば「肌が合う合わない」といってしまってもいいいが対象が限定される。 「フィーリングが合う」でもまだ言い足りない。その場合その理由があいまいで 不明なのに対して、「バイブレーション」と言ってしまうと、合わないことの「理由 」 まで 示唆されているような気がする。
おまけに何にでも使えるものだから (対象との関係に言ってしまってもいいし、状態そのものも表現できる["今日はバイブレーションが低くて・・・"] 。対象も選ばない。) まるで世界を包括している世界観を手に入れたような気にさえなれる。 この安心感が他と代え難いのでしょう。

普通の言葉では、因果的にすぎるところが窮屈だといえる。
ひとたび「相性が」と言ってしまうと、その理由を 言葉で羅列しなくてはいけないような気になるのだけれど、 言葉での理由はいつもこじつけたような違和感を避けられない 。
言葉にしないで説明する余地を残すという意味で、 「波動」という言葉は大変に便利です。


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