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ディズニー七つの法則 トム・コネラン 日経BP社 1997

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レストラン<リバティー・ツリー・タバーン>を作るとき、
ウォルト・ディズニーは
基本的なコンセプトをこういったそうです。
「5セントのハンバーガーを5百万ドルの御殿で食べられるようにしたい」。
その時に比べると、ハンバーガーの値段はだいぶ高くなりましたが、
お客さんに心から喜んでもらいたいという気持ちは
変わっていません。

ディズニー内部で行われている一風変わった従業員管理システムを描く。
描きかたが、架空の5人のビジネスマンが視察のためにディズニーランドを訪れるという形を取っていて、その中での気づきを描写していく。読みやすいのだけれど、日本の本にはあまりない形なので、ちょっと戸惑う。

これを読むと、ディズニーのサービスが、すばらしいということは確かに良く伝わってくる。
困った人を見掛けたら、率先して声をかける、そこまでやるか、というほどに気を回す、ということなど。
例えば、ある夫婦が、レストランの行列の長さにうんざりしている。この夫婦が結婚記念日としてやってきているということを小耳に挟んだスタッフは、次に席があいたときにその夫婦を呼び入れる。
また、フック船長のサインがもらえなかったと泣いた子どもがいることを知ると、 わずかな時間の隙に、その子のホテルの部屋に、ピーターパンの名前で、おわびの手紙を置いてくる。
アイスクリームを手にしているために乗り物に乗れなくて困っている子どもがいれば、進み出てアイスクリームを持っていようと話し掛ける。

それらは、「客を”ゲスト”と呼び、従業員を”キャスト”と呼ぶ」ということにはじまる、完璧に組み立てられて理念の実践にもとづくものだった。
これがなかなかすごい。

こうした理念が、一つ一つ説明されていく。「見えないところにこだわることが大事」「細部に気を使う」「客の声はどんな所からでも吸い上げる」など。 細部にこだわる、ということでは、例えば、大統領の人形のところは、すべて当時の製法による服を付けているし、馬をつなぐ杭(ヒッチングポスト)の頭は毎晩塗り替えている。
細部にこだわることで、従業員にそれとなく、客と接する心構えを知らせようとしているのだ。
また重要なのは、うまく仕事をした者を誉めることが、制度として確立していることだ。普通の組織では人々のミスを咎めることはあっても、良いところを誉めるということは滅多にない。制度がなければならないのだ。
v ディズニーは、どんなキャッチフレーズもたいして意味のないことを知っている。「お客様は神様」などといっても実際には口だけの合唱に終わってしまいがちだ。問題は実際に行動することだ。行動するためには言葉でなく、そのような環境を作ることだ。ディズニーはそうしたシステムを確立してしまっている。
従業員は、生き生きとして、客を楽しませようという雰囲気に満ちているという。

これを読むと、日本の企業の制度が、えらく原始的なものにみえてくる。また、どんなシステムも進化していくのだ、と思わされる。これからの進化という意味で、日本の企業は大丈夫なのか?何でもアメリカ先行だとしたら哀しい。

東京ディズニーランドもこのようなシステムは、実践されているのだろうか。

日本人にこんなことが、できるのかなあ、と思う。というのも、このようなスタッフの態度は、ボランティアなどと同じくやはりアメリカのキリスト教の流れから来ているんだろうと思われるからだ。日本人がこんなことをしても、ぎこちないだけなんじゃないかという気がする。受ける方もなれていない。そもそも減点主義からできている社会なのだから、こういうプラスの形の評価・行動の仕方は元々体になじんでいないだけに、難しそうだ。まあ、それでもやっているんだろうなあ。行ったことないけど。

だが偉いなーと思う反面、その一方で、どことなく不安な気持ちにもなる。
人々が「想い」で一致しているだけあって、奇妙に宗教的になりすぎてしまうのではないかと思う。

組織が自閉的になっておかしくなっているかどうかというのは、中で使われている「専門用語」の質で分かるのではないかと思う。カルトや、セクトというところでは、専門用語の質が、本来の用法からするといかにも飛躍に満ちて、また質的にも異様なものが多い。おそらく、集団として自閉する快感が重要になってくるために、「他人には分からないという度合い」「自分らにしか分からないという快感」が、その極まで行ってしまうのだ。
そうした観点からディズニーを見ると、他と隔絶した集団としての「専門用語」がやはりあり、これらはちょっと危ないところのすれすれまで来ているのではないかと思う。
例えば、設計上、ふさわしくないものを「不法侵入」と呼んだり、ときめくことを「妖精の星屑」と言ったりしている。こういう言葉の使い方を知ると、「カルトまでもう一歩」と失礼ながらも、つい思ってしまう。
従業員(キャスト)の行なった感動的な、機転の利く行為の紹介があったときに、みなが口々に、「ああ、それって、妖精の星屑」「妖精の星屑」とうっとりしたりしていた。危ないなあ。

そもそもこの企業形態というのは、決して革命的で、物事を根底から変えるというようなものには見えない。結局、これは従業員をいかにうまく管理するかという新手の小手先のテクニックにすぎないんじゃないの?と意地悪く思ってしまった。いかに従業員のやる気を引き起こすか、ということへの新しいアプローチだ。別にそれ以上のことを言っているわけではない。

この本には従業員以外の、例えば上層部の企業文化の説明などはほとんどない。確かに、社長もゴミを拾う、というようなことは書いてあるのだけど、知りたいのはそんな些末的なことではない。ヨーロッパのディズニーランドの失敗も「チャレンジ」「チャレンジなのよ」という「カルト風おきまりの」言葉でおわっていて、これは企業の雰囲気を説明するために出てくるだけだ。

もっとも効率的に、一丸となるような働かせ方というのは、やっぱりある種の宗教的雰囲気で包むというところまで、行き着くしかない、ということかもしれない。日本で船井さんに人気が集中しているのも、同じような理由なのかも。

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