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人生を<半分>降りる 中島義道 ナカニシヤ出版 1997

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この人の「うるさい日本の私」は面白かったなあ。
駅のスピーカーや街中のうるさいアナウンス にくってかかり、止めさせようとするそのエキセントリックな態度は、読んでいて、とっても愉快だった。
変なことを「変じゃないか」と声を上げて妥協しないところは、人間としては大事なことなのだけど、日本人ばなれしている。
この本はそう言う過激さの底辺に流れている「精神」を、自ら説明している、といえる。人生を「半分だけ」降りる、というのがその生き方だ。
スピノザ、ルソー、兼行法師、セネカなどを引用しながら説明している。
現代人は完全に隠居するのでなく、「半分だけ」隠居するのがうまいやり方なのだという。
元々のこの人の性格としてそうだったらしいが、 東大時代に教授に「いじめられた」という体験(新設大学への島流し、の時代をふくめて)が、この「半分降りる」態度を強化したらしい。
だが半分降りることによって、この人の生き方は、より輝きを増した。
投げやりというのではないのだが、諦めることによって より鮮烈な人生を送ることになったように見える。
生来のこの「哲学的」に、妥協せずにあらゆる事に疑問を投げかける生き方が強化されて、 それを実践に移していく。
「もう、虚礼は止めました」といい、「以後いかなる年賀状も書くことはありません。それらすべてはうそっぱちのそらぞらしいことですから」 というようなことを言ってのける。
私らがなんとなく変だ、と思っていたのだが「タブー」となっているようで触れずに済ましていたことに、ぐいぐい突っ込んでくる。他人事だが、非常にこぎみがいい。
また、一つのことに、没頭する「専門バカ」であることを笑う。
彼もその一員であるが、「哲学者」の多くはこんな連中だ。彼にとって「哲学する」ということは、あらゆる疑問をとらえて誤魔化さないことだ。
多くの人々は「哲学」と称して限りなく自閉していくだけである。
この人は何か外のものにからめとられて感覚が鈍く曇ってしまうという人間の性向を特に警戒しているらしい。
出版パーティーの歯の浮くようなお世辞にアレルギーを起こし二度と出るまいと思う。
誰かといっしょに食事するのは自分の「嫌いな」食べ物を口にしなくてはならない事があるのでゴメンこうむる。
献本はお返しに嘘ついてまでも誉めなくてはいけないこともあるので迷惑。
人が互いに馴れ合ってなあなあと生きていく、というこの世のしくみに、どうしてもなじめないのだ。
子どもじゃないかと言われれば、「子どもで結構」と応え、 「あなたも半分人生を降りよう」と語りかけてくる。
「みんながこんな生き方をする必要はない。」「0。1%の同胞のために私はこれを書いている」という。
このように「我が道を行く」というようにやらなければ、生まれてきた甲斐が無いんだろうな、と思う。 ただ、同じように押し切れるほどの「勇気」は、なかなか無いのである。
この人は「自分が有名になることなどあり得ない」と決め込んで、こうしたすべてを公開したというのだが、
ふと見てみると、ベストセラーリストに「<対話>のない社会」(中島義道)というのがあった。
題名から察せられる内容といい、この人の本ではないのだろうか?
もしこの人の本がベストセラーとなったのなら・・・・皮肉なことである。

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