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検証・プリズナーの世界(菊田幸一 編)明石書店 1997

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元・受刑者や元・刑務官へのインタビュー集。かなり分厚い。

これは、ひどすぎるんじゃないだろうか。
なかで誰かが言っているように、「日本にもこんな所があったのか」とあきれてしまう。
なにしろ、明治時代の監獄法がそのまま続いている。

例えば

受刑者は毎日「ばかやろう」だのなんだの罵声を浴びせられ続けられる。自尊心をずたずたにしておいて、反省をしろというのである。まともな反省ができるのだろうか。

歯医者は三ヶ月に一度しかやってこない。かといって勝手に自分で歯をぬいたりすると懲罰を加えられる。歯も管理の対象である。
運動場で拾った葉っぱを房内に持ち込むことも許されていない。葉っぱは国有財産だからだ。

作業中は目をそらしてはいけない。時計を見ることは許されていない。見ると懲罰。 係官と目が合うと懲罰。だが手元の作業ばかり注視していることは不可能だ。一寸目を休めるために遠くを見てもいけないという。そこでこれが、警務官のいじめの手段となる。
あらかじめ気に入らないやつに目を付けておいて、その者が少し目をそらしたら言い掛かりを付けて引っ張っていくのである。あるいはわざと横に立っておき、何だろうと見上げたら引っ張るという手もある。 また気に入らないやつは、仮釈放の直前に、わざと脇見で引っ張り、仮釈放を台無しにしてしまう。

何か事件でも起こしたら大変で、保護房へ移されるのだが、その際皮の手錠で両手を互い違いにふさがれる。これはほとんど取ってもらえない。食事は、仕方ない、口をつきだして犬食いするしかない。トイレはもっと悲惨で、股に穴のあいたズボンに着替えさせられているので、そのまま垂れ流しである。長い人では一ヶ月もそのまま。
これは正当な手続き無しに、恣意的に行われるのである。
これはちょっとひどい。なんかの国際規約に反しているんじゃないか。
どっかの独裁国の刑務所じゃないんだから・・・

冬に、寒いから毛布を敷いて寝ても、重ね着しても懲罰。病気になっても、まともな薬はない。ただ一週間おかゆだけになってしまうので、なるべく耐える、という。

こうしたことは、定期的にやってくる法務省からの巡回官に訴えることができるらしいのだが、訴えると後でどんな仕打ちが待っているか分かっているので誰も訴えない。

外から人が見学などに訪れるときだけ食事がいいとか、閉鎖的な組織にありがちなことも多い。
ちなみに有名人の慰問というのは、暴力団の大親分がいるときに行われるという。これも興味深い話。

気づかなかったのだが、日ごろよく使われる紙袋というのは、多くが刑務所の中の作業として作られているらしい。
名前が挙がったものだけでも(名前を出されるといやだろうなあ)
、「高島屋」「佐川急便」「ペリカン」「KDD」
などがある。あとすかいらーくの割り箸入れの作業にも使われているという。
案外人々の日常と関係しているのだ。

こんな刑務所が矯正に役立つはずもなく、日本だけ、B級の累犯者が増加しているという。
「更正して社会復帰させようというのではなく、絞るだけ絞ってピンはねしようとしている」、という人もいる。

なぜにこのような状況がそのままほうっておかれたのか。
(もちろん今も続いている。改善の兆しはまったくなさそうだ。外圧以外では変わらないだろう)
もちろん刑務所なのだから、楽するというわけにも行かないが、これはちょっと変である。
犯罪者ザマ見ろ、と社会の矛盾やストレスを適当なところへ押し付けてやり過ごす、という日本人のメンタリティもあるだろうが、なにより他人のことなど要するに何の関心もないのだ。
よく「人権」とという言葉が勝手気ままに振り回され、破壊的に作用していることがあるのだが、これも「人権」がなんのことを意味しているのか誰も知らないという背景があるだろう。

管理をする警務官のほうにも問題がいろいろあるらしい。上下関係は絶対で、少しでもたてつけば、人事権による報復が待っている。「まず刑務官が物を言えるようにしないと。スタートは。」とは、元刑務官の言葉。

教育問題のことなども考えると、日本人ほど、「人を管理する」という状況において、残酷になれる国民はないのではないだろうか。
あまりに性格がかっちりとしているので、管理する瞬間に対象が「もの」になってしまうのだ。
最近の役人の失策などもこうした流れの中にあるに違いない。(ちょっと飛躍)

と、”にわか人権派”になってしまう私であった。

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