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私は負けない モニカ・セレシュ 徳間書店 1997

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試合中にストーカーに刺され選手生命を絶たれるかというほどの危うい傷を負ったプロテニス選手、モニカ・セレシュの事件の顛末記 & 半生記。
ストーカーといっても彼女のライバルのシュテフィ・グラフに対するもので、 彼女を賛美するあまり、敵とみなしたセレシュを襲ったのだ。
彼女はこのために、傷害を受けただけでなく、心理的にずたになりテニスを続けることとができなくなる。 震災で有名になった、PTSDらしい。
悪いことに犯人のパルヘは放免され、また襲うかもしれない恐怖とも戦わねばならなかった。
回復して復帰しようというさなか、さまざまの困難や助けを得ていく。
マスコミのひどさというのはどこも同じで、 どうもプロテニスプレーヤーというのは芸能人と同じ扱いらしく、 ある事ない事書立てる、療養しているさなかヘリコプターで接近するなどの「一線を超えた」取材がくりひろげられている。
イギリスの大衆紙の品の無さというのは、ダイアナの事件でもわかるとうり、まったくひどいものである。どこでも同じらしい。
回復のさなかには仲間と思われていた選手の中でも、本性が見えてくる。この事もセレシュを苦しめた。
ここらの「暴露」が恨みがいくらかこもっているようで、面白い。
野次馬的に、テニス選手の人となりを知ることができる。 例えばこの事件の間接的な原因となったグラフ選手の冷たさ。
おざなりの見舞いはするものの、二度と姿を見せることもない。「後で電話する」という言葉もそれっきりだった。 マルチナ・ナブラチロワは彼女の復帰を直接手助けする。ブレスレットを渡して、心理的に追いつめられてテニスができなくなったセレシュを励ます。
人格者である。えらい。
そして故アーサー・アッシュやセナ、元ニューヨーク市長の・・・・誰だっけ・・・の励まし。 回想の中で他にも汚い選手を思い出す。
陰険なヘレン・ケレシ。
試合の際の掛け声がうるさい、と「フェアでない」申し立てを ゲームの最中にしたナタリー・トージア。
プロテニス界というところはやはりすごい所らしく、選手同士の軋轢だけでなく、 審判の不公正などとも戦わなくてはならないらしい。
伊達さんは、偉かったんだなあ。
偶然かどうか、「わるもん」のテニス選手はあまり生き残っていないように見える。
悪口、と書いたがこれらは半生をつづる中で触れられるのであって、別に 恨みを込めているわけではない。
人格的には、このセレシュという人は立派な人らしい。
「テニスなんてただのゲームだ」をいつも心に留め、 人生に葉より大切なものがあるということを忘れることはない、バランスが取れている。このことは本の全体に流れている。
これは彼女の父の影響だという。半生記として、父とのテニスの訓練のことなども書いているが、 テニスの本などろくに無い旧ユーゴに始まる二人三脚の歴史は並大抵の親にできることではない。
こういう苦労がこの人に深みを与えているように見える。
彼女は、悲劇的な最期を迎えたテニスプレーヤー、スザンヌ・ランランのファンであったのだが こういう所といい、必ずしもテニス選手として恵まれているといえないところから這い上がってきたことといい、何か生涯に悲劇的な色彩を帯びているようで危なっかしい。

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