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醜形恐怖 町澤静夫 マガジンハウス1997

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醜形恐怖というのは、自分が人並外れて醜いんじゃないか、あるいは自分から何かやな臭いでも出ているんじゃないか、という妄想に取り付かれて、日常生活に支障を来してしまうノイローゼである。最も多いのがやはり顔などの美醜に関わるこだわりだ。

醜形恐怖の歴史そのものは古いのだが(百年以上もある。ほとんど近代精神医学の歴史と同じらしい)、最近目立ち始め、学会などでもよく取り上げられるようになったという。強迫神経症と関係しており、セレトニンの関与などが確認されているらしい。

「診察室から」という章で、いろいろな事例が紹介されていく。いろいろな症状、こだわりがある。
背が高すぎる、だの、毛深い、だの、肛門から臭いがする、だの。
拒食症も、この流れの中にあるらしく、事例として紹介されている。もっとも、 拒食症は女性に多いのだが、醜形恐怖には男女の差はあまりない。
ひどい人になると、ある日突然自殺をしてしまう。これは事例を読んでいても、少しどきりとさせられる。
苦しんでいる様子は分かるのだが、その苦しみの「相」のようなものが変わることなく、同じ所をただぐるぐる回るだけで、ある日突然ぷつんと糸が切れるような解決の仕方をしてしまうのだ。何やら異様である。
この「相」の変わらなさは、どこかしら共通するようで、いわば「変化」や「成長」のような要素がはなから欠落しているらしい様子は、この神経症が、人間を成り立たせている要素の何か根源的な(”第一歩”的な)部分の異常ではないかと思わされる。

精神科医である著者は、この病気を、劣等感から我が身を救う「なけなしの防衛システム」だと言っている。

問題はなぜ、このような、自罰的・自虐的な方向へ行ってしまうのかということだと思うのだが、著者はこの方面をあまり説明していない。
人間の生きる力が弱まっていること、何でも即席で済ます、つまり深く追求することのない傾向などいろいろな要因があるのだろうと思う。
こんな状態では、時に真の美しさというものが醜さの奥にあるということに気づく余裕もない。

もちろん本では現代社会の「見てくれを重視する」傾向については触れている。しかしそれ以上の説明はない。はじめから「読み物」的な本にするつもりだったのだろうけど、この方面をもっと追求して欲しかったと思う。

参考:「恐怖症」の各種解説

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