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ドルフィン・コネクション (ジョーン・オーシャン)

和尚エンタープライズジャパン 1997



"知識領域を体験してはっきりわかったことは、
私たちが振動する思考形態やフィーリングを通して
地球を想像したり再想像したりする自然のプロセスと
、私たちの体の細胞の再想像のプロセスとは
非常に良く似ていることだ。"

イルカというものに対して異様なほどの愛着を示す人は多い。
これは特に西洋の人々に顕著で、もう宗教的といってしまってもいいようだ
。 心理的には、イルカは無意識の知恵や神聖を表していると思えるので、こうした傾向は人々の宗教的な側面の不全さを表しているのかもしれない。
「宗教性」に対する無意識の補償。日常に表立って現れている宗教がもう意味を成さなくなっているということもあるんだろう、と思う。 こういう人たちはイルカを神聖な神として崇め奉る。
イルカではないが、同じような性格とされるクジラに、著者がであったときの反応を読めば、これがどういう性質のものかわかると思う。

するとその瞬間、強い幸福感に満たされ、何でも受け入れようという気持ちになった。私は すぐに非常に強く深い愛に満たされ、それは私の体では支えきれないほどに思われた。
これこそが「真理」の意味するものだと思った。「真理」「愛」とはなにか、今私にはわかった。
深い穏やかな波動が私の気づきにさっと押し寄せ、クジラとハートが通じ合って一瞬のうちに完全に分かり合えたように思われた。それはまるで知恵と愛のやわらかな泡に包まれたかのようだった。
確かにクジラとイルカでは受ける感覚に少し違いがあるかもしれない。 だが著者のイルカへの思い入れの性質は類推できる。一寸どこか過剰なような・・・

別に皮肉に見ているわけではないのだけれども、この本のイルカ礼賛は何だか読んでいて気恥ずかしくなったことも確かなことだ。
この本には全体としてのまとまりや流れというものが希薄で、前後のつながりがなく、言ってみれば 詩的な本ということができる。映像が流れてゆくのをぼんやりと眺めているような感じ。
これも、神聖なものを説明するときの生々しさを無意識に避けた結果かもしれない。

著者もそうとう「いちゃった」人で、イルカと日常チャネリングしているという。

今現在生きている私の目的は何か、なぜここにいるのか。
あなたがたはこのような質問をしたことがあるだろうか。この永遠の問題についてインフォメーションを持っていると思われる人にあう毎に尋ねてみたが、 誰も答えてはくれなかった。
ある日私は紙に向かい、イルカにその質問を書いてみた。私の手が答えをすばやく記録し始めようとすると、こんなことが思い起こされた
「・・・私たちの惑星は大いなる美と多様性に満ちた場所だ。色とりどりの鳥、魚、花。 変化に富んだ気候や地形。選択が自由な惑星であり、私たちには多くの選択の可能性がある」と・・・
・・・・
「どうしたら地球を助けられるのか」と続けて私が尋ねると、ペン先から流れるように現れたのはこのメッセージであった。
「十分にあなた自身でありなさい・・・

この本の持つ「地に足が付かない心地よさ」(ああ、なにしろ海の中のイルカが相手だから)や、イルカの持つ神秘性とあわさって、確かにイメージとしては心地よい。本の イメージ的性質を考えると、読者の「ほんとか?」などという下世話な質問は夢を覚ましてしまいそうな、やぼなものに思えてしまう。
著者ほど極端な形でなくとも、イルカと関わっている人で、イルカとテレパシーによるコミュニケーションをしてしまったという人は多いという。
著者はさらにそこから進んで、シリウスや宇宙人との連帯まで感じて生きている。 イルカ好きもかなり過激だ。外国の人って簡単に極の方まで行ってしまう。(<ーいけませんね、こんな差別的な言い方。)
確かに常識を超えたイルカの英知はここで紹介されていて、これは興味深い
。 たとえばイルカは人体にある各々のチャクラを順番に突いてきて、チャクラを「活性化」し クンダリーニ体験に似た状態を引き起こす。著者は仲間との間でこの体験を確認できた。
あるいはイルカとともに出産することの、胎児へのすばらしい効果を表すロシアの実験。
こうした事を知ると、私たちが知っているイルカの姿は確かにまだまだ浅すぎるというのも確かなよう。
安易な神秘性の中に逃げずに、そこに確実に何かがあるとして追求することは 思わぬ英知を人間にもたらすことになる。
この本は主婦のグループによって翻訳された。ほんのすこしだが翻訳の経緯を読んでみてもイルカに対する情熱が伝わってくるようだ。今イルカという存在には人をひき込む力があるのだ。
ローマ帝国で、魚を象徴としてキリスト教が広まったように、今「イルカ」を象徴として新しい精神性が広まっているらしい。

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