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  精神世界BON

  
 
 「新しい時間」の発見
甦るマヤの預言 
ホゼ・アグエイアス
ロイディーン・アグエイアス
風雲舎
ニューエイジ・ファッションのようなもの? ★★★ ニューエイジ

日本などで行われた講演をまとめたものです。
カレンダーのタイプを、マヤ人が使っていたものに変えろ、と言う主張ですが、
ちょっと、突拍子も無い話です。
著者はどこかの大学教授をやめて、このメッセージを伝える事に専念しています。

現在使われている暦…時間の単位は、60進法で12ヶ月ですが
これが諸悪の根源だと言っています。
で、どうしろと言っているのかというと、マヤのように20進法で13ヶ月にしろ、と言います。
このほうが人間のリズム、自然のリズムに調和するそうです。
例えば13ヶ月にすると1ヶ月28日となり、何日が何曜日かすぐにわかるようになります。
また28日と言うのは女性のサイクルでもあります。
一年に一日だけどの月にも属さない日が出来ますが
これはケルトなど他の文化でもよくあることだそうで、人間の知恵としてとらえています。

人類が60:12を採用してから、人口増加がうなぎ上りになるなどの
不調和が表に出てきたのだといいます。
西欧社会の植民地化による押し付けでこれが広まってしまったので
この暦自体に普遍性があるわけではないと。

なんだか現実味と言うのは全然無いような気がしますが…

作者はこれを10世紀のマヤの予言と組み合わせて説明しています。
それによると、人類は13の天国と9つの地獄を通過する事になっていて
それぞれの期間は52年です。
そしてまさに地獄の期間に突入すると同時にスペインが襲来して人々を殺戮しました。
以後1987まで地獄が続いたというから、この予言によると
今は人類は再び回復しようとしている事になります。

作者はマヤのカレンダーの考えをこの地獄の終結と絡めて考え、
このカレンダーを広める事が人類の希望となると考えているらしいです。

いにしえの預言者ケツァルコアトルのこの予言は(当たっている部分など)
興味深いのですが、
実は作者は、ケツァルコアトルから直接チャネリングで
メッセージを受け取っていると言っており、
だんだんここらから神がかってきて怪しげになってきます。

西欧の暦は植民地抑圧の名残と主張するところなど、
抑圧を受けてきた民族の側の怨念が
こういう主張をさせているにすぎないように見えない事もないです。
 
シュタイナー霊的宇宙論
霊界のヒエラルキアと物質界におけるその反映 
ルドルフ・シュタイナー
春秋社
相変わらず壮大 ★★★★ シュタイナー

一般に人が何か突拍子もないことを言ったとき、普通の人なら冷笑するかあざ笑うかするところでしょう。
でもそれがあまりに突拍子も無い事だったら、というと……ただぽかんとして馬鹿のようにその人が言う事を聞くしかありません。
シュタイナーの話はいつもそんな風です。
解説で高橋巌氏が言っていますが
この宇宙論はあまりに壮大で、合っているとか間違っているとかいう判断も停止してしまいます。

宇宙論というからには宇宙の成り立ちなども描かれるわけですが、
木星紀だの太陽紀だの月紀だの、特殊な言葉を使って繰り広げられる宇宙の成り立ちは、
語られる事をイメージとして翻訳して理解しようとするので手一杯というところです。
イメージとして掴むのが大変だと言うのは、人間のイメージする力のぎりぎりのところから
シュタイナーが語り掛けるからです。
彼がなにか人間の力を超えたところと繋がっていると言う事は
この語りが行われている地点を想像するなら、確かにあり得るのかもしないな、という気にさせられます。

神の位階をはじめとして下は精霊に至るまで
宇宙をなす存在のヒエラルキーの事も描かれていますが
例えば人間を上からたぶらかす堕天使ルシファーは月紀において
自ら落ちることを選んだと言います。
これは悪い事ではなく、実はより高次の存在の計画であり、人間の力をより強めるために
悪の可能性を蒔いたのだといいます。
彼らはもともと高次の存在、デュナミスであって、彼らのうち進化に取り残されたものが堕ち、
残りのものは太陽を分離した、といいます。
両者の争いはすさまじく、多くの神話などに描かれているとか…
そしていま、火星と木星の間にある小惑星帯は
この勢力争いの痕跡だと言うところが突拍子も無いところです。

存在のヒエラルキーについては、
例えば大天使の存在はその肉体を風と火の中にのみ見ることが出来、
彼らは肉体とエーテル体を切り離しているから、肉体以外の構成要素は
肉体を風と火の中に見つけたときにその対応物を霊界の中に見出さなくてはならない、
などということ、
さらに高次の人格霊についてはその肉体は火の中でしか見出せない、
(だから稲妻のなかに人格霊の肉体が見出せる)
見出したときにその霊的対応物を霊界に見ることができる、
などといったこと……が書かれていたりしますが…
何を言ってるのかさっぱり分かりません。

でも壮大過ぎるので、やっぱりけちをつけようなんていう気は起こらないです。

見えない道
愛する時、そして死ぬ時

ルシャッド・フィールド
角川書店
語りが心地良い ★★★★ スーフィ/ニューエイジ

スーフィーシリーズの第2弾です。
これが70年代の本だとは信じられない。
これだけのいわゆるニューエイジ風味があるのに
あの70年代にこれが書かれたと言うのはどういうことなのか、と悩ませるものがあります
もちろん70年代にだってニューエイジはいたでしょうが
この小説には90年代的ニューエイジの雰囲気があります。
まあ精神世界ものの小説と言うのはいつの時代にもあったことを考えると
別に驚くべきではないでしょう。
訳して出版しているのが最近だということと、装丁の雰囲気のせいでそう思ったのかも知れません
そういう理由で無意識なニューエイジ風アクセントがついた面は確かにあります。

相変わらず翻訳も山川紘矢・亜希子調ですが
さすがに「―――なの。―――です。」という会話部分の調子はちょっと鼻につくかな、という気もします。
内容は副題にある通り、死をめぐる話題になっていて、
作者の体験が小説の中にしっかり生きています。
決して頭でなんとなくこねくり回されただけのものではないのがわかります。
内容的な完成度と言う点で、かなり高いです。

思い出の小箱から
岡村美穂子
上田閑照

燈影社 
存在の残り香を嗅ぐような… ★★★

世界的な禅学者、鈴木大拙の思い出についてまとめた本です。
共著になっていますが、メインは晩年の大拙の秘書役だった岡村美穂子による
回想だろうと思います。
良く伝わってくるのは、個々のエピソードと言うよりも
大拙と言う人の、禅者として人間としての存在感のようなものです。
それは彼女の最初の大拙との出会いのところにすでに描写されています。
大拙がアメリカの大学に講義に来たときに、噂を聞きつけてアメリカ在住の岡村氏が覗きに来たのですが、
大拙が教室に入ってきて、本を出したり、時計を見たりするところで、
彼女はすでに強い印象を受けています。
大拙が腕時計を見るときに(大拙は腕時計を腕の内側につけていたそうです)、
目を凝らして眉をしかめて、その眉が
ぐっと曲がるように見えるところなどをいやに詳しく回想しています。
大拙の動作に触れた時に、急に時間がきめ細やかになったのかもしれません。
何かここに大拙の存在感のほのかな香りみたいなものを感じます。
そう言えばこの本には写真もいくつか入っているのですが、
座ってるところ、歩いているところ、どれも何かドン、とした存在感が感じられます。
(特に杖を持って歩いている後姿に強い印象を受けます。)
後半に対話の記録があって、公案禅では禅は弱る、とか、座禅したから悟ると言うわけではない、とか
そういう話をしていますが、
ここでの語り口も案外ぶっきらぼうで、過不足ないから逆に安心感があるという、
あんまり聞いた事のない話し方をしています。
生きているとは、このように「存在する」事だ、と思ってしまいます。

 
 
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