人にはなぜ教育が必要なのか 小室直樹 色摩力男 総合法令 1997 |
やや年をとった二人による教育談義で、ところどころアナクロ気味なのだが、このような教育の状況下では的確なことを言っているようにも思える。
色摩氏は移管してエリート階級の必要性を説いている。ここでいうエリートとは階級制度のことではない。エリートというのは、氏によれば、「やらなくてもいいのになんでまたそんな責任を背負おうとするんだ」と平凡な一般大衆から言われてしまうような、その立場に応じた責任を進んで担おうとする人のことだ。だから、あらゆる階層にエリートがいるのだ。このことをオルテガなどを引用したり、「偉人」の言葉などを引用したりして説明している。例えばチャーチルは「エリートのない社会は滅亡する」といったという。
これは言ってみれば社会の「背骨」とでも言うべき存在のことらしい。社会が機能していくためには要所要所で妥協をしない厳しさを担う人々がいなければならない。
ところが一般大衆は民主主義を勘違いして理解しているので、あらゆる権威的なもの、厳しさを伴うものを嫌悪し、それと認識するや否や、まるで病原体を見つけた免疫細胞のように攻撃を加える。このようにしてどこにも欠くがない、軟体動物のようにぐにゃぐゃの情けない社会が出来上がる。
言いたいことは分かるし、個人的にもこれは正しいとは思う。だが、エリートという表現をここで使わねばいけない理由が今一つ理解できない。その立場に応じて何事かをなす人、というのならもっと適切な言いようがあるように思うのだが。
ここに関してはちょっと回顧主義におぼれて、思考が不自由になってしまっているような感じがする。 とにかく、現代の教育に関しては、厳しさと規律の必要性がまったく理解されていない。権威を毛嫌いしているので、そんなものは存在しないことになっている。結果そういったものなしに社会の調和を生みだそうという、なんだかよくわからない状況になっている。卵を割らないで目玉焼きを作ろうとしているような・・・。読んでいると、そんな感じがする。 最近、いろいろな少年犯罪が増えて教育の話題もよく耳にする。そんな中、「持ち物検査」さえ人権問題とかでできないということを初めて知って仰天した。なんでここで「人権」が出てくるのだろう。さっぱり分からない。おまけにあるはずもない信頼関係がどうのこうの言っている。日本の一般の父子関係そのままである。
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