内容としては、これまでに出版された「死ぬ瞬間と臨死体験」や「死後の真実」と重なってくるところが多い。モンロー研究所で体外離脱をし、その後神秘体験をしたことや、チャネリングしている身長2メートルの存在が出現したことなど、同じエピソードが、また繰り返されたりしている。
だが最後の著作としてまとめているのでより有機的にエピソードが繋がっている。
またエイズ患者の子どもを引き取ろうとして地元と険悪な状態となり、迫害され放火されたことなどの、晩年にいたる出来事も回想されている。
ロスが、「死」の研究者として迫害や妨害にいつもさらされていたことは有名だが、
読んでみると人生の早い時期からスリルとバイタリティに満ちた日々を送っていることがわかる。
旧共産圏の国にボランティアとして偵察に行った時など、ベルリンから脱出することができずに、イギリス人将校の持つ木箱のなかに息をひそめて潜って脱出した。映画並みの冒険である。まだ医者になる前のことだ。
いつも逆境を行くというパターンの人生を歩む人がいるが、この人がまさにそういう人らしい。そして起こることが何もかもいかにもドラマチックで強烈である。
火事や事故ということが多いが、神秘体験という点でもこの人らしく、激しい。
何回も講演で話されていることだが、死の研究に協力してくれた患者、シュウォーツ夫人が幽霊として現れてロスを励ましたことなどは何気なく読んでいるとやはり仰天する。
逆に、ロスについていけないという人はこの当たりから引いていくのかもしれない。たしかに神秘体験の強烈さは、ちょっと読む者を躊躇させるところがある。ヒーリング・ウオーターズ・ファームで大工の棟梁と一緒に釘を打っていた時は、イエスの幻影が現れて祝福の言葉を残して消える。まるで紀元前の神話の世界に逆戻りしてしまったような世界にいるのだ。
自身がチャネリングの「存在」をアラジンのランプのように呼び出して対話してしまったりするが、そのような超次元的な存在も含めてともにこの世の、そして死後についての知識を明かしていく。
といっても結局は「愛が大事」とかそういうところへ帰着する。死について探求し、死をしっかりと見詰めてきたものとして、それがいかにはかないものかを知っており、また死後に問われるのは「いかに愛したか?」という問いであることを確信しているので、このことは「緊急時」なのだ。この<切迫感>が、ほかの人たちの、似たような主張とは違う。
他にもいろいろなことを言っている。
もっとも、エリザベス・キューブラー・ロス自身、「聖者でもなく」、最後まで怒り狂って、悪態をつくこともあるような人物なので、その主張をどの程度まともにとっていいものか少し躊躇もする。
最後は脳卒中で寝たきりになり、動けぬまま過ごすことになる。だが病院ではコップにおしっこをしたりと、ザマミロというようで相変わらず痛快な生き方を押し通す。
またソーシャルワーカーや保険会社とのことで、現代医療に毒づいて、何か恨みがましい。「一体どんな人生なのか?惨めな人生」とこの人にしては意外なほど弱気な一面も見せる。
このころには椅子とトイレとベッドを往復するだけの毎日となっている。
最後のページでは、太字の文字(オリジナルではどうだったのか知らないが)を織り交ぜて、これだけでは言っておきたいとばかりに最後のメッセージを伝えている。
やがて息も絶え絶え、あるいはもう書くのも大儀であるかのように箇条書きのぶつ切りのようになってしまう。
この最後のぎこちなさだけでも感動的なものだ。
・・・・愛があれば、どんなことにも耐えられる。どうかもっと多くの人に、もっと多くの愛を与えようとこころがけてほしい。それがわたしの願いだ。永遠に生きるのは愛だけなのだから。