精神世界本

  
 
生死同源
篠原佳年
幻冬舎
 
癒しの可能性 ★★★★ 代替医療/癒し

お医者さんの癒し本です。
この人はサンマークの『快癒力』でベストセラーを出した人です。
この本はサンマークではないのですが、やはりどこか雰囲気が似ていて、
読んでいると勘違いしそうになります。
まず最初に、自分がいかに治療のためにいろいろ勉強しているかということを書いています。
得体の知れない講習会に出たり、大金を払って教えてもらったり、ということなど。
こういう大風呂敷を広げる人って危ないんだよなあ、と思ってしまいます。
危ない人というのは大抵このように最初にめくらましのような大げさな自分の奮闘ぶりをぶつけてくる
法則があるようなので。

でもそれも杞憂らしく、あぶなっかしい外れ方を見せつつ、なんとか許容範囲内に収まっていきます。
外れそうになって危ないなあ、と思うと、また元に戻ってくる奇妙なバランス感覚は
この人の家族が実際の難病にかかっているということと無関係ではないように思えます。
生半可な代替志向の場合は、次第に軌道を大きくそれてしまう事があるわけですが
この人は家族の難病という現実に引き戻されて、必要以上に浮付いた状態にならずに
奇妙なバランスがとれているようです。

この人が辿り着いた代替医療は、光彩の状態で健康状態をチェックしたりするという
ものなど、珍しくて、どれくらい効果があるのかはこの本では分かりませんが、
結構(危ない感じもあまりせず)面白そうです。
治癒に関する哲学も考え抜かれたもののようで共感できます。



道元断章
 中野孝次
 岩波書店  
 
意外性なし ★★

この本にはまったく予想外ということがありません。
すべてがお決まりの流れに沿って処理されていきます。
道元の正法眼蔵などについてのエッセーなのですが、
たとえば仏教の修行における『型』についての解説では
現代日本に型が失われているので若者の行動はひどく醜い、というような
誰でも言えるような事が繰り返されています。
また心と世界につての引用では、
”そういえば現代日本は自然を大切にしない。道元が見たら嘆く"という具合、
時間や死についての引用では
”現代人は死を病院に隠してしまった。”
と言う解説。
すべてが当たり前の、予定調和、どこでも聞けるような感想で
読んでいる中、およそ意外な事は起こりません。
これを読む意味が何かあるのかな、と思いましたが
こういう意外性のない、淡々と当たり前の事が流れていく様を
快感と感じる人種というのもいるのでしょう。




 
ひらけ扉−ふりそそぐ光の道
Luna‐message 
日木流奈 
大和出版
い…生き神様じゃ(違う違う) ★★★★★★ ニューエイジ風

これはまったく信じられない…

8歳の少年がこんなすごいものを書けるのだろうか。
例えば「8歳らしからぬ」文章とかいうと言う言い方はできるけども、
この本にはそんな言い方を思ったこと自体を恥じさせてしまうほどの《ものすごさ》があります。
例えばこの詩、

我らに残せし心は
今、愛という花に変わる。
あなたの心の浄化は、
すでに始まっている。
輪は何度でも回り続けるであろう、
浄化の雨を一身に受けながら。

この詩が本当に8歳の作品なのか…
詳しくは彼のHPに行けば分かる事だと思いますが、
こんなにありえない事が起こっていることに、混乱せざるを得ないです。
もっとも、最近の子供に関しては信じられないことも多く、「また人類が進化したんだ」と
言われても納得してしまう部分があります。

彼は脳障害なのでボードなどを介してコミュニケーションを取っていると言う事です。
それで、もしかすると間に入っている両親などの大人が
言葉を誘導してしまったり、どこかを補ったりしているのかなーなどと思いましたが、
この内容は読めば読むほどすごみがあり、
大人といっても、こんなすごい事が言える人なんて滅多にいるとも思えません。
あまりに信じがたいので両親の写真に何か隠れた秘密みたいなものが
読み取れないかと思って見てみたのですが、
奇妙に70年代的な雰囲気の御両親だなー、と言う以上のイメージは浮かびませんでした。

こんなに信じがたい事がこの世にあるんでしょーか。
巻末に彼の他の本についての広告のようなものが載っているのですが、
湯川れい子氏とか原日出子氏とかの推薦文があります。
例えば湯川れい子の推薦文は「なんて小さな神様がいらっしゃるのでしょう」というものです。
でもあまりにこっちは驚いているので、彼らの推薦文すらなにかずいぶん
のんびりしすぎているものに思えてしまいます。

最後に<参考文献>としてシュタイナーの本が3−4冊載っています。
本人が読んでいると言う事でしょうが、
あのような神秘的な内容に馴染みながら、
前世を思い出したと言う人に「そんなの幻」と牽制するクールさを同時に持っています。
重ねて言うには、「だって今生きているのもある意味では幻だから」と。そして
同時に、こだわらない人にはそういうことでも自由に話すとか。
この悟りきったバランスのよさ。

どうもこの世には特別な人間がいるというのは事実のようです。
例えばモーツァルトみたいに、始めから足場が「向こう」の世界にあって
顔だけこの世に出しているというような人種と言うのがいます。
こういうひとは始めから向こうの世界に住んでいて、
話したり、行動したりするときも、すべて向こうの世界の原理からなされるのです。
この世しか知らない人間には彼の行動をこちらから見るしかなく、
時折その人たちのもってくる「向こうの世界」の香りみたいなものに
呆然とするのです。
一昔前なら確実に生き神様として祭られていたでしょう。
 
  (後記)この文章を書いてから二年弱、NHKでこの子のドキュメンタリーが放映されました。
他の局でも放映されていたらしいのですがあいにく気が付かなかったので、映像では初めてと言うことになります。
この本を思い出しつつ見てみたのですが…ううむ、やはり当時驚いたことも無理もないというような
一種の危うさもあるようです。
まず、本人が言っているかどうかということの確証が(映像としてみても)得られないと言うのはやや残念なところです。
またそのような文字盤の場面で、母親がカメラに見られていることを意識しているような素振りが
危なっかしいと思わせる一つの要因となっています。 (当人が眠りかけの中文字盤を操るシーンなど。 眠りのため途中で「言葉」が途切れるので 「おやおや?」という風に母親が当人の顔を覗きこむのですが、 その動作にまるでサーカスの綱渡りを見ているかのようなヒヤっとした感じを受けてしまいます。)
素人がテレビに撮られているので当たり前なのかもしれませんが、もう少し自然な動作を期待してしましました。
また当人が読んだ本の背表紙をコピーしていると言うのもなぜなのかよく分かりませんでした。
メモしたほうがずっと楽なのですが…多分「読んだ」という達成感を自分の中で強調したいと言うことかもしれません。
(ここでも他者の眼が意識されているような気がします。というのは本の背表紙をコピーするときに、
将来この行為がもっとも効果的に用いられる場面、
つまりこれらを他人に誇らしげに見せる場面を期待していなかったとは言えないでしょうから。)

いつのことになるか分からないにしろ、結局これはどういう決着を見るのでしょうか。
そうと知らず架空の人物についてのチャネリングを続けたR.ラビン(だったかな?)、少年愛のサイババやでたらめなアガスティアの葉、
失敗したラジニーシといった流れに連なることになるのでしょうか…それともうやむやのままに終わるのか。
実際に本物かどうかというのは、簡単な検証で分かるわけですから問題はそれが行われるかどうかでしょうが。
彼の言っていることがかなり純度の高いニューエイジ思想(珍しく雑味のないということですが、おそらくそれは
障害のある子供だというイメージの醸し出す雰囲気も関わっているのでしょう)であるだけに気になります。


 
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