精神世界本
神との友情 下
旅は続く光が見える
サンマーク出版 |
一筋縄には行かない |
★★★★ |
ニューエイジ |
前回これは半生記ではなかったのか、と思ってましたが、どうやら半生記だったようです。
人生の回想の合間合間に「神との対話」がサンドイッチになっているので[上]ではよく分かりませんでした。
[下]のほうでも同じようなサンドイッチなのですが、人生でのエピソードも多く語られています。
いろいろな職を点々とした挙句についにはホームレスになるところなどは、(そしてそこから抜け出すときのきっかけなど)大変ドラマチックです。
もしそのような体験が無ければ、こういう本もこれほどの説得力は持たなかったと思われます。
なにかを体験してるときはその意味に気づかないと言う事はよく言われる事ですが
この作者自身、そのような経験をしてきたわけです。
エリザベス・キューブラー・ロスに「拉致」されて手伝いをした事や、
バーニーシーゲルのような、日本でも有名なニューエイジ系の人々とのつながりなども興味深いところです。
またReCreationという「神との対話」のための非営利団体とは別に、
現在グローバルルネッサンスアリアンスという世界への具体的な働きかけのネットワークのための団体を作っているようですが
ここの理事に聖なる予言のジェームズ・レッドフィールドもいるようで、
ニューエイジ系の人々はやはり繋がっているようです。
このシリーズが特別なのはなんなんだろうと考えると、
やはり対話形式いうことになるのでしょうか。
これは案外ポイントなんだろうな、と今回思いました。
というのはいつも著者のほうが「神」に対して聞き役で、その役と言うのが一言で言うなら
「びっくりする役」といえる、ということです。
「神」が何を言っても「びっくり」してくれるので、読むものはいつでも
自分の今いる地平から「神」の言葉を眺める事になります。
それは漫画的なお約束にすらなっているようです。
(カスタネダのドンファンシリーズもカスタネダは「びっくり」してくれました。)
だから多くの宗教書のように高邁な内容だけが一人歩きして、その現実的な力や存在感を失うことがないといえます。
いつでも彼が「びっくり」して正気に戻してくれるので、それほど遠くに連れ去られる事はないな、
と安心してその本の内容に接近できるわけです。
もちろんそこでわかりやすく繰り返される事で、内容がよりわかるということもあります。
そういう批判的な部分が常に残ってますから
ニューエイジ系にありがちなごまかしにも敏感なようです。
例えば、あなたがあなたの現実を作っているのだから、私は責任がないし、無関心で良い、という
よくあるパターンを”ニューエイジ・バイパス”と名づけて、どういうことだ、と詰め寄ったりしています。
また瞑想の方法などの示唆などを読むと、過去の覚者の言っていることと似ていたり、
[神]は人を通じて行動するのだから、あなたも行動しなくてはならない、
と言うところなんかも、地に足がついている感じがします。
心の扉を開く
アイリーン・キァディ
日本教文社 |
クラシックなのかなあ |
★★★★ |
フィンドホーン |
カレンダーのようになっていて、一日にひとつづつ、神の語り掛けを読むという体裁になっています。
だから結構厚みがあります。また日本教文社の本らしく、活字を組んでいる感じがなかなか良い味出してます。
フィンドホーンといえばニューエイジの草分け的な存在だと思いますが
こんなにも古いというのに
―――といってもこの本自体は1986年に(翻訳は98年)書かれたものですが―――
言っていることが現在のニューエイジのスタンダードと共通しています。
例えば「類は友を呼ぶ」という原則、
だから最高のことだけを考えろ、ということ
直感で行動して計算するな、ということ
与える事によってより多く受け取る事ができるということ…
など。
ただ、神が出てくるときに付きまとう特殊な”辛気臭さ”がフィンドホーンらしいと言う感じがします。
聖母マリア悲しみの大予言
五島勉
青春出版社 |
おそるべし70年代テイスト |
★ |
予言 |
この本はついに最後まで読めませんでした。
こんな事は珍しいです。
ファティマの予言について書いたものですが、
お得意の、賞味期限が切れたノストラダムスに比べるとあまりにも役不足でしょう。
たいしてネタや情報があるわけでもなく、これで一冊作るのは、脅しをかけて興味を引こうとしても
読むほうはあくびが出るだけです。
相変わらず70年代的な調子で持っていこうとしますが、この時代にこの調子はただひたすら異様です。
精神世界物本の世界のひとつの奇景と言うべきでしょうか。
五島勉がまだ懲りずに本を書いていたことのほうがびっくりだったかもしれません……
本当の「癒し」って何!?
山折哲雄 ・ひろさちや
ビジネス社 |
この二倍は必要 |
★★ |
癒し |
両者の対談ですが、内容的にはそんなにたいした事はないようです。というか、
食い足りない感じが強いです。
ひろさちやのことはあまり良く知らなくて、テレビのコメンテーターや分かりやすい仏教の本を出しているのを
見かけるくらいで、平仮名の名前といい、毒にも薬にもならないような人だと思っていたのですが、
読んでみると案外きつい発言などをしています。
でも出てくる体験などが、ビジネスマンに心関連の話をしたら硬直したとんでもない答えが返ってきた、
と言ったたぐいの、類型的な「いかにも」的な話なので、やっぱりつまんない人なのか、ここらは
まだ良く分かりません。
他にミャンマーの軍事政権を、「清潔だからすばらしい」と賞賛するところなど
誉めるにしてもずいぶんピントはずれなことを言っていて、
やはりトンデモな人かも、と思ったりします。
現代の人々が「癒し」を連発する奇妙について話されたりしていますが、
山折哲雄が、「これは現代人が神を殺したからだ」と指摘したあたりは興味深いものがありました。
神がいるからこれに対する自分と言うものがある――神がいない世界では行動者としての私と言うものが成立しにくい。
こうした世界では何事にも受身にならざるを得ない、と言うわけです。
山折氏は、これはある程度病的なものと捉えているようで、
未来は主体性すらなくしてしまうのではないかと言っていますが
人間は程度の差はあれ、ずっと主体性なく生きてきたようにも思えるのですが。
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